★Yes,It is.★since2006-04-23〜

 過去の何に価値があるのか?
04-23
 物事は、それに取り組み始めて考え続ける限り進化をするものだ。その蓄積が水準を高めて、完成に限りなく近づいてゆく。しかし、解答が出た・完成を極めたと思ったその時から、改良・改善を止めるために、その後は時間と共に歪曲化し始めて誤った方向に向かい、形骸化したり腐敗して崩壊の道を辿る。
 だから原点に戻るのである。それは過去の形を甦らせてそのまま保守するという事ではない。見失っている本質を再認識して、歪曲・誤解の分岐点に立ち戻り、進化のスタートラインに立ち戻ろうと言う意味である。
 私が今後の作品づくりにおいて注意したいと思うのは、そこを誤解しないようにする事である。

 様々な生き方
04-30

 生き方には様々な生き方があって、それを考えたり意識したりする事が人間の特性だと思う。本能で生きる野生動物にはそんな事を考える事もないだろう。
 人間の生き方の中に、社会的生き方と個人的生き方というものがあると思う。このふたつは互いに影響し合っていて、無関係ではないが異なるものである。動物にも種族による集団社会が形成されてはいるが、それは本能的にDNAに埋め込まれた群れであって、ルールや掟なども自分達が自ら作り出したものではない。私はこれを「天命社会」と呼んでいる。
 人間の社会は、そういう観点から言えば「天命社会」ではなくて、人間自ら作り出した「創作社会」というふうに私は捕らえている。人間は自ら作り出した社会に縛られながら、且つ天命も受け入れ、そして内部から沸き起こる自我とも折り合いを付けながら生きてゆく定めを持っているというのが私の考えだ。
 社会的生き方とは外部要因に影響された生き方、個人的生き方とは内部要因に影響された生き方というふうに理解すると、話が分かりやすくなる。
 社会の価値観と個人の価値観は本来同じものである筈はないだろう。人間の社会とは個をまとめるための政治的なものでしかないから、個々を尊重していては成り立たないからだ。個人的には様々な生き方は認められるが、社会的にはそれは認められている訳ではない。

 自分の生き方が、外部要因から形成されたものか、内部要因から起こっているものなのか、誰しもがそれらの混ざりあったものではある筈だが、よくよく認識して人生と向き合ってゆく事が賢明だと思う。